聖書に基づきイエス・キリストの救いを伝えるキリスト集会(教会=津市)

心やすらぐとき

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やすらぎが来る三つの秘訣 -あるドクターが日本人は薬依存症だと言いました-

日本人は薬依存症

あるドクターが言いました。「日本人は薬依存症だ」少し喉が痛いと風邪薬、お腹がゆるいと下痢止め、頭が痛いと頭痛薬。あまりに薬に頼りすぎると、効き目がなくなるばかりか、むしろ身体を害するというのです。そもそも下痢というのは、身体から悪いものを出そうとして起こる場合が多く、また吹き出物にしても、そこから体内の毒を出そうとしてできるものなのだと言われているのです。薬で止めるよりもむしろ悪いものを出してしまう方が、身体には良いのです。痛みや疲れ、下痢といった症状は、身体自らが発している危険信号とも言えるのですね。このサインをキャッチすることのほうがより大切なのです。

「これ以上は危険だ。健全な生活にチャレンジしなさい!」と叫んでいるわけですが、これは心の問題についてもあてはまります。心が疲れたり、不安になったり、イライラすると、お酒やギャンブルで紛らわせようとしますが、それは対症療法にすぎません。心の疲労、そしてあなたを創られた神(創造主)からの呼びかけでもあるのです。

イエスキリストはこのようにおっしゃいました。

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。」(聖書)

ここにたましいに安らぎが来る三つの秘訣が書かれてあります。

原因を正しく知る

第一に疲れの原因を正しく知ることです。なぜ疲れるのでしょう。自分を生かしておられる神(創造主)を忘れ、自力で生きているかのように考えて生きるからだと聖書は語っています。最近、駅の構内に、携帯電話の充電スタンドを見かけるようになりました。携帯電話は確かに便利ですが、大事な話の際中に「電池切れ!」ということもありますよね。

電池切れの携帯は使わずに休養させれば、ひとりでに回復するでしょうか。いいえ、充電池が回復するには、エネルギー源とつながっていなければなりません。エネルギー源、すなわち人間に命を与えてくださった神(創造主)につながっていなければ充電されないのです。電池切れの携帯が存在目的を失っているように、神(創造主)につながっていない人生は、目的を失っています。生きる意味も目的もない人生は、ただ疲れるだけ、重荷を負うだけの人生となるのです。

重荷を持ったまま

第二に自分の重荷を持ったまま、キリストに来るということです。キリストのくびきに自分の首を差し入れるのです。「くびき」というのは、いわば連絡機のようなものです。自分では負いきれない人生の苦しみ、死の恐怖の重荷、罪の重荷、難しい人間関係の重荷をキリストにゆだねるのです。キリストには解決があります。なぜならこの方は、あなたの罪の重荷を負うために、天から下ってこられた神(創造主)だからです。

この案内でお伝えしたいのは、宗教ではなく福音です。何が違うのでしょうか。宗教は、人間が修行によって、上へ、天国へ、極楽浄土へと上っていく道です。

御題目を唱え、善行に励み、滝に打たれながら、鍛練を重ねて一段一段人が上っていく道です。他方、福音は神が下って来たという歴史的事実についてのニュースです。人が上り詰める修行法ではなく、万物を超えた偉大な存在者が、人の姿となって、罪満ちたこの世に下って来てくださった、十字架処刑という最低の扱いに下って来てくださった、あなたの罪を償うために身代わりの十字架にまで下られたというメッセージなのです。あなたの生み出したありとあらゆる罪や咎を背負うために来たイエス・キリストに重荷をドスンとあずける、これが福音です。

キリストを学ぶこと

第三に、人生の中でキリストへの心優しさとへりくだりを学ぶことで心安らかになるのです。

あるクリスチャン夫妻にまだ小学校入学前の小さな娘さんがいました。この子には重い障碍があったのです。そのため両足の股関節を切るという大手術を受けることになりました。「スジギリ」という手術名を聞くだけで夫妻は不安に打ちのめされました。「入院したら長くなるだろうなあ」。この子を思うと不憫でなりません。ある時、ファミリーレストランで話し合いました。「この子を励ます良い方法はないだろうか?」ふと見ると売店におもちゃの携帯電話がありました。「そうだ、入院のときこれを買ってあげよう」。

それから三か月、明日はいよいよ入院する日の朝、玄関に小包が届きました。差出人は事情を全く知らない遠方に住む年老いたクリスチャンでした。中味は、なんとキティちゃんの携帯だったのです。「買うのをすっかり忘れていた、けれども神(創造主)はこの子をちゃんと覚えていて下さったのだ」二人は神(創造主)の深い愛に触れられた思いがしたのです。

この瞬間に手術前の一切の不安が吹き飛びました。「私たち以上に、この子のことを心配してくださっているキリストこそ、本当の親なのだ」彼らは、キリストが心優しく、へりくだった方であるということを学んだとき、問題のただなかで安らぎに満たされたのです。

 

神(創造主)があなたに対して心優しく、へりくだった方であることを学ぶために人生があるのです。どうぞあなたもイエス・キリストを信じ受け入れてください。

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